ビックデータは悪夢をみるか?

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「Japan IT Week 春 2013」
「第7回Web&モバイルマーケティングEXPO」
マーケティングビッグデータの夢を見るか?」
ヤフー株式会社代表取締役社長 宮坂学

http://internet.watch.impress.co.jp/docs/event/20130510_598880.html


この講演、拝聴していて感じたのは東野圭吾さんの「プラチナデータ」。DNA処理ってビックデータ計算そのものなのかと。小説の中では髪の毛一本から顔の写真を抽出していました。

一方、Yahooの例を参照すると、実際にビックデータは「社会」抽出は既に実現できていて、いずれ「個人」までを映し出す、すなわち把握しきってしまう姿が示唆されてと思います。宮坂さん自身も自ら指摘してましたが、いち企業が数多くの個人を傘下に収めている姿は良い面と悪い面があって、とても深い問題です。

Yahooは決して悪さをしないとCEO自ら保証してましたが、個人的には大抵この手のテーマは、どんなにトップやリーダーがきっちりやります!と宣言しても一人、もしくは少数の悪魔によって「悪夢」がもたらされるのがパターンかと思ってます。

きしくもこの講演の直後が夏野さんの「日本はIT技術の進歩に制度や社会が追いついていない」という演者十八番テーマの講演でしたが、加えてそもそも人間そのものの思考が技術の進歩に追いついてないともいえるのではないでしょうか。普通に某G社を始めとするインターネットサービスを使っているだけで、自分のほぼ全てがその会社に掌握されている現実をまじめに考えている人がどのくらいいるのでしょうか。少なくとも自分は現時点で危険性を殆ど考えることなしに、インターネットサービスを利用してます。
(職業柄、提供サービスの裏の仕組みまで想像できるので「そんなことまで知っているのか!」と感心する事は多々ありますw)


技術の進歩はエンジニアやその筋の学者を始め、ほったらかしておいても市場自体がリードしていくものです。その一方でそれがもたらす影響は、社会学や行動学からきっちりと分析し、必要な思考や不足しているリソースを指摘する、いわば文系的なIT(IT社会学?)エバンジェリストがいないとなかなか考える機会がないのが実情ではないでしょうか。こんな時代だからこそ哲学をどうどうと語れるユニークな人材の登場を期待します。